元々は大衆向け?百貨店の歴史

さかのぼること江戸時代

日本の百貨店の歴史を辿ると三越の前身である越後屋に行き着く。

これが日本における最初の百貨店と言ってもいいでしょう。

当時はお金持ちにしか手にすることのできない呉服を一般市民にも手にすることができる仕組みをつくりました。

一物一価の正札販売という仕組みを確立し、それまでの顧客によって値段を変えるという仕組みに変えたということで、世界的にも画期的な仕組みと呼ばれていました。

百貨店

そもそもは大衆向け商売

このように百貨店は、所得にかかわらず広く顧客を相手にしていました。

1980年代には格差の小さい大衆社会が生まれました。一億総中流と言われた時代でこの時代こそ百貨店の絶頂期で西武百貨店の「おいしい生活などの広告コピーが話題となり、と同時に広告業界も輝いてた時代でもありました。

この富裕層と中間層の差があまりなかった時代までは本来の成り立ちでもある大衆向け商売が成立していましたが、中間層の購買力が落ち込みにつれ、それに引きずられるかのように百貨店も衰退の一途を辿ることとなったのです。

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富裕層向けへの変心

そこで打った手というのは、客単価の上昇。客数が減る中でいかに売上を維持していくためには致し方ありません。

それが今の富裕層向けビジネスに変わっていたのだと思います。

で、切り捨てられた中間層は、専門店やデパートなどに流れるようになり、今のように棲み分けがなされるようになりました。

最初は大衆向け商売でしたが、頼みの中間層が減ったといこともあり、商売を変えていかなければならない。これも時代の流れとでも言いましょうか。とは言っても今更大衆向け商売にしても他のお店と対峙するほどの競争力もないですし・・・

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富裕層向け商売に特化

時代の変化に合わせて、自身も変わっていかなければならないというのはよく耳にする話。

ダーウィンの種の起源にもそのような内容だった気がします。

てなわけで、ある百貨店の社長さんいわく「中間価格帯は捨て去る」とばっさり。

例えば今、百貨店の商売を支えているとも言われる訪日外国人。彼らの要求を満たすためには、まだまだ高級商品とは呼べないとのこと。

ので、今以上に高価格帯の商品の品揃えを充実させて訪日外国人が満足する店作りをしていこうというもの。

実際に閉店が相次ぐ百貨店業界において都市部は業績順調。それも訪日外国人のおかげとも言われています。

彼らの欲求を満たすためにも高価格帯のさらなるシフトは必然とも言えますね。

大衆向け商売として生まれた商売が、今では海外の人向け商売に変容にしていく様を目にして、あまりの大きな変化にただただ驚くばかりです。

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