アジアが世界に誇るボクサー
2016年4月に引退を表明したマニー・パッキャオ。フィリピンでは国民的英雄ですね。彼の試合中継の日は、街が静まり返り犯罪も0になるとか。
日本で言えば力道山の試合に日本中が釘つけとなっていたというエピソードに近いものがあります。
同じアジアの人間として、体格で勝る欧米人をバッタバッタと倒すパッキャオに力道山を重ねて見るのは僕だけではないはず。
向かう所敵なしで海外へ
フィリピン国内では対戦相手が見つからないほど強くなってしまったパッキャオは、戦いの場をアメリカへ。そこで名トレーナーと知り合い、彼の才能はさらに花開くことになります。
米国に渡ってからのデビュー戦は準備期間2週間だったにも関わらず見事KO勝ち。瞬く間に彼の名は米国のボクシング界で知られるようになりました。
一回目の挫折
米国に渡ってからも勝ち続けるパッキャオ。そんな順風満帆な彼に初めての挫折が訪れます。
それがエリック・モラレス戦での敗戦。それまでは強烈な左を武器に勝ちを収めてきましたが、左一本では限界。
そこで左右どちらでも正確なパンチが打てるよう特訓を重ね、パッキャオのあの強烈な右フックが生まれたのです。
ある意味エリートとも言えるパッキャオ。この敗戦でさらに成長を遂げるあたり、精神面でも相当タフであることが伺えます。
下馬評を覆えしたデラ・ホーヤ戦
パッキャオの試合で一番記憶に残るのが、デラ・ホーヤとの一戦。
大方の予想はデラ・ホーヤ。当時は大スターですから、それに無名のアジアの選手が挑むという位にしか見えなかったのでしょう。
試合はどっちがチャンピオンなの?という位、デラ・ホーヤの画面は腫れ上がり、一方のパッキャオは原型そのまま。
この試合の勝利をきっかけにさらに名を上げたのは言うまでもありません。
壮絶な前のめりKO負け
KO負けが少なパッキャオですが、ファン・マヌエル・マルケス戦のKO負けは衝撃的でした。
互いにダウンを奪い合い、パッキャオ有利かと思いきや、カウンター気味に右フックを喰らい後ろに吹っ飛ぶならまだしも、前のめりにダウン。やばい倒れ方に観客も騒然となりました。
しかもこの試合前は不運な判定負けを喫しているだけに、復帰戦を兼ねた試合でKO負けしたことで、多くの人はパッキャオ引退かも悲しい気持ちになったことでしょう。
作品の終わりに触れ
ドキュメンタリー映画は、ここで終わりとなります。
そして2015年のメイウェザー戦。本作品とメイウェザー戦との間に何があったのか、興味津津でなりません。
とにかくパッキャオに続く世界的ボクサーが日本からも出て欲しい。