グローバルに戦うには中央集権が必須?三菱重工

成り立ちは幕末維新

三菱重工の歴史を辿ると、岩崎弥太郎に行き着く。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に何度か登場し、竜馬も商売の才覚には一目置くような感じで描かれていたけど、まさかその人が、日本を代表する製造会社の創業者だったとは驚き

岩崎弥太郎,三菱重工

解体、後、再統合?

戦後の財閥解体で、西日本、中日本、東日本の3社に分割され、その間、3社間で同一製品、同一業態のまま共食い状態となり、1964年に再統合。が、分社化した禍根が、ずーっと続くこととなり、三菱重工にとっての大きな悩みの種に発展。

三菱重工

本社よりも事業所

事業所単位の文化、伝統が強すぎるあまり、本社の言うことなど聞かず、各事業所で独自路線を突っ走り。本社役員よりも事業所長の顔を見て仕事するような風潮が長く続いたようで、企業としてのまとまり感が欠如していたそうです。

事業所単位は細部にも・・・。

例えば給与明細のフォームや社員番号なども事業所別。原価計算の仕組み、資材管理コードもバラバラ。他にも

色々あったんでしょうね。事業所別の公用語とか、資料のフォーマットなどなど。

これじゃ、あかん

国内で戦うには、この体制でも通用したけど、世界の名だたる企業を相手にすると、ちょいと今の体制では十分に力を発揮できない。ということで、3事業所の統合を50年近くもかけてやっと成し遂げた模様。

例えば、社内報の統合。たかが社内報と言えども、統合するにもかなりの労力があったようで、3事業所の溝の深さが伺える。

地方分権から中央集権へ。さじ加減を間違えると、モチベーション低下にも繋がりかねず、非常にシビアな問題だなとあらためて感じた次第です。

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