あらためて広告ってすげぇ~と感じた、映画「NO.」

あらすじ

1980年代後半のチリでのお話。軍事政権下の国が国民投票を通じて民主的社会を手にいれます。その過程を一人の広告クリエイターを軸に話が展開していきます。

どこか国民は諦めムード

国民投票前夜と言えば、国民全体の空気は軍事政権が維持されるんでしょうと、どこか諦めムードが漂っています。15年近くの軍事政権の下で、自由に発言する権利さえも失っているのですから、国を変えたるでという士気も落ち込んでいったのでしょう。

そんな空気が蔓延している中、この作品の主人公の所に、現政権の政治にNOをつけつける陣営が擦り寄ってきます。目的は選挙活動用のイメージ映像の制作。

NO 映画

両陣営のイメージ映像戦略

日本にいるとなかなイメージしにくいですが、国民投票前はYes派、NO派に分かれてメディアを使った大々的なキャペーンが繰り広げられます。その一環で自由な位置づけを担うのがイメージ映像なのです。

Yes派の映像は、現大統領の功績に終始し、どこかとっつきにくい印象の映像。一方のNo派の映像はCMよりのアプローチで、自由を手にした国民のイキイキとした映像構成。広告屋だけにツボを抑えた構成で、諦めモードの国民も、もしかしたら国が変わるのでは?意識変化が起きていきます。

独裁政権は怖い

この選挙活動、1回目はNo派の圧勝となり、これに危険を感じたYes派は、クリエイターの家に忍び込んで悪さはするわ、脅迫めいた電話をかけるなど嫌がらせをしかけます。

検閲だと言って、勝手に制作済みの映像を編者しちゃうし、やりたい放題。けれどそれらの嫌がらせにも屈しないNo派のクリエイター集団の意思の強さは目を見張るものがあります。

NO 映画

最後はパクリかよ

嫌がらせが加速するのと反比例して、No派の勢いは増すばかり。支持層もどんどん膨らんでいきます。映像表現も夢を語るトーンからユーモアさを加えたトーンへ表現を変え、これまた好評。

ネタの枯渇したYes派は、しまいにはNo派のパロディ映像を流す苦肉の策を強いられる羽目に。

広告が歴史を変える

アメリカの大統領選は広告手法の最先端が凝縮されていると聞いたことがあります。ということは、人の心動かすのにはやはり広告屋的アプローチが重要なのかと

それを本作品で見事なまでに証明したのような気がします。真っ当な事を言い尽くすのではなく、どこかシニカルな笑いがあった方が人の心に響くのかなと。

作品中のYes派とNo派の映像を見せられてどっちが良い?と聞かれたら迷わずNo派の映像を選ぶでしょう。