元々は弁護士だったことにビックリ
高校の世界史で歴史的人物の一人という位しか認識がなかったガンジー。
どこかの宗教の創始者でもなく、政治家でもないというポジションなのに、インド国民のハートを鷲掴みにして、独立への原動力となったのは紛れもない事実。
そんな彼の生涯を3時間にギューッと凝縮したのが本作品。
これを見れば、ガンジーの人なり、そして功績を知ること間違いなし。
元弁護士だったということもこの作品で知ることでしょう。
インドでは英雄扱いで帰国
当時、イギリスの植民地であった南アフリカで弁護士として働いていたガンジー。
列車に乗っていた時に、インド人だからという理由で指定席から自由席に移動させられる等、インド人に対する差別が横行していました。
これに敢然と立ち向かったのがガンジーでした。相手は当時世界を牛耳るとも言えるイギリス。今で言えば日本人がアメリカに立てつく様なものでしょう。
彼が起こした差別撤廃運動は大きなうねりとなり、司法の世界で、その判断は移され、見事勝利を収めました。
そのガンジーがインドに凱旋帰国することとなり、彼を受け入れる港では多くのインド人が出迎え、まるでビートルズ来日時のフィーバーっぷり。
当時、インドもイギリスの植民地だったこともあり、彼に寄せる期待は高かったのでしょう。
激しい、ヒンドゥとイスラムの戦い
当時の帝国主義の政治の在り方を知るにも本作品はうってつけでしょう。
力で押さえつけるのではなく、話し合いによる解決を求めるという点は、人類もかなり大人化していたことの現れでしょう。
これも、世論の声が無視出来ないくらいに大きくなっていたこと。そして新聞というメディアがかなり力を持っていました。
インドにおけるイギリスの植民地政策は全世界に知れ渡り、その手法に強引なところがあれば、全世界はもちろん、イギリス国民からもやんやの批判の声が上がります。
ので、イギリス政府もガンジーの扱いには慎重にならざるを得なかったのです。
イギリスの主張では、当時はイスラムとヒンドゥ教徒の争いが絶えず、仮にインド人に自治権を与えても国として一つにまとまることなく運営もままならないと。
この主張にガンジーは真っ向から意を唱え、非暴力を全国民に訴えるのですが、ガンジーの切なる願いもむなしく、争いは日増しに激しくなっていきます。
今の時代にいたら中東の混乱も・・・
ガンジーはこの状況を改善しようと断食を行ったり、暴動の激しい現地に趣むき双方の人間に会って話を聞きつつ、説得を試みるのです。
この行いが功を奏したのか、それ以降、争いはピタリと止み、インド独立がまた一歩近づいたのでした。
現代風に言えば、混乱激しい中東にも、この手の非暴力を主張する、宗派を超えたまとめ役が登場すれば、国もひとつまとまっていくのかなと思った次第です。
それにしても非暴力は、加害者に対して反省を促す行為というこことに納得と思いました。