必ず出てくる孟嘗君
三国志の名軍師、諸葛亮孔明が尊敬する武将、楽毅。春秋戦国時代から中国全土統一の道筋を立てた呂不韋。
このように個性豊かなキャラの多い春秋・戦国時代において、その彼らが尊敬してやまない賢人が孟嘗君なのです。
自国が滅亡して浪人生活を送っていた樂毅が燕国で登用され、後に成功を収めたのも孟嘗君が助力があったからこそ。
呂不韋も奴隷同然であったものの、そこから秦に宰相に登りつめた影には孟嘗君との出会いがあったからでしょう。
とにかく、「俺、孟嘗君と知り合いだよ」と言えば、世間から一目置かれる時代。将来の夢を叶えるには孟嘗君に会っておくのは必須でした。
その位、この時代において孟嘗君はものすごく影響力のある人でした。
生まれた時からドラマチック。
生まれた日の縁起が悪いということで生後間もなくして殺されることになっていた孟嘗君でしたが、ママが機転をきかせて、庭師に我が子を預けます。
ところが庭師は自分で育てるのことに不安を感じ、知り合いの夫妻に孟嘗君の世話を依頼
心よく引き受けてくれた知り合いに感謝していたのも束の間、この夫婦がある事件に巻き込まれ、二人共殺害されて残されたのは孟嘗君ともう一人の赤子。
そこにある事情で家に押し入った大商人白圭に拾われ、彼の元で幼年期を過ごすことになります。
目まぐるしく親が変わる孟嘗君。生まれた時から波乱にみちた人生を歩むことになったのです。
錚々たるメンバー
彼が親元に戻るまでの、白圭と過ごした13年間に歴史上に名を残す人達と交流があります。
一人目は中国初の法治国家の礎を作った公孫鞅。後の商鞅。
それと孫子の兵法で今もなお本にもなっている孫氏こと孫臏。
この名だたる人たちとの交流で孟嘗君の人格形成がなされていきました。
3カ国で宰相の位に
国の執行を任される宰相。今で言えば総理大臣といった所でしょう。
孟嘗君は何と魏、秦、斉の3カ国の宰相を務めています。
春秋・戦国時代は人材流動性が活発で、三国志の世界では裏切りとも取れる行為に映りますが、この時代ではそこまで厳しくありません。
戦で解決することを嫌う
彼の特徴はと言えば、戦を極力避け外交で折り合いをつけるといッたイメージが強いですね。
戦をすれば民が苦しみ、多くの人達が悲しむ。そんな事に力を注ぐのはよしとしないのでしょう。
だから彼の戦シーンは少ないです。孫臏の元で、戦の妙を学んだのに勿体無い気がしますが・・・
孟嘗君が若かりし頃は魏が大国として君臨していましたが、孫臏率いる斉に大敗。それをきっかけに斉が強国として知られるようになります。東の斉、西の秦といった具合に。
秦はゴリゴリ、楚や韓を攻めるのに斉は自ら動くとはしなかった。
それも孟嘗君の考えが市民の末端まで行き届いていたからでしょう。