東急グループのルーツと言えば・・・
東急グループの創始者と言えば五島慶太。まだのどかな風景が漂う今の田園調布周辺に線路を敷き、大成功を収めた人。
落合信彦の石油戦争に彼の生き様が描かれています。両手に電話を持ちながら仕事をしていたなんて逸話もあるほど、ブルトーザーばりのパワーフルな人だったことを記憶しています。
自主性をよしとした文化
その後、長男の五島昇氏に引き継がれ、東急グループは更に成長していきます。電鉄を中心に、不動産、百貨店と事業領域も広がり、各事業ごとの自主性を認めていましたが、バブル崩壊後はグループ各社とも業績が悪化。
2000年には有利子負債が3兆円に膨らみ、これじゃあかんとなり、東急電鉄が中心となってグループの再編が始まりました。
グループ会社の整理整頓
まず手始めに、2005年に東急百貨店を、2008年に東急ストアを完全子会社化。上場廃止としました。
平行して業績の芳しくない企業の整理を進め1998年に500社近くあったグループ企業社数を約10年かけて半数以下に減らしていきました。
で、2011年のそれまでの自主性を重んじる文化から、東京電鉄を中心としたグループ体制に生まれ変わりました。それがひとつの東急。みずほ銀行もoneみずほとスローガンを打ち立てています。グループの結束力を高めるという方向に時代の流れは来ているのでしょう。
掛け声だけでは終わらせない
ひとつの東急の取り組みとして、まず仙台空港の運営が挙げられます。これが東急グループ総動員といった感じで、電鉄、不動産、建設、広告、東急コミュニティのグループが結集。それに前田建設、豊田通商も加わり、イオン、ANA、三菱地所などの競合に勝ち、見事獲得。グループの底力を見つけたといった感じです。
他にも銀座に2016年にオープンした「東京プラザ銀座」。それまでは百貨店と東急ハンズのコラボはありませんでした。これはこれで意外でしたが、ひとつの東急の旗印の元、このコラボが実現。百貨店内にハンズが入っています。
ニコタマのひとつの東急の賜物
二子玉川駅の複合商業施設「二子玉川ライズ」もひとつの東急の一環。それまでは沿線の案件は電鉄、沿線外は不動産でしたが、この案件は両者がガッチャンコして取り組んだ事例です。
まとめ
東急と並び評されるのが西武。西武も電鉄、百貨店を持っています。最近、西武グループは僕的には元気がないように見えます。たしかセゾンも西武グループじゃなかったような・・・。
生き残りをかけて、自主独立から集権管理体制でグループのシナジー効果を出す方向に今後は進んでいく気がします。