20年の長期にわたる経営改革
航空機、船、原子力に空中などなど様々な製品を扱う日本を代表する巨大企業、三菱重工。創始者かの坂本龍馬のお友達、岩崎弥太郎さん。歴史も古く今の今まで会社が存続しているというのは中の人の絶え間ない努力のおかげと言ってもいいでしょう。
ところが過去には厳しい時代もあったようで、この20年間は改革に向けての取り組みが進められていたようで、その成果が徐々に見えてきたというのが今回のお話です。
改革にあたって、事業改革や人材改革、脱自前など様々な取り組みを行ってきました。
どれも順調に進んでいるはずもなく、それはそれは苦労の連続だったことでしょう。
中でも、事業改革と人材改革のくだりは、どの会社にも応用できる話で学ぶところが多かった気がします。
会社より事業所の意識改革
三菱重工は全国に事業所なるものがあります。
一般企業になぞれば支店という位置づけでしょう。
この事業所にもランク付けがあって、Sランクの長崎、Aランクの神戸、名古屋といのがあって、Sランクの長崎ほどになると会社よりも事業所の方針を重視するというきらいがありました。
てなわけで、ガバナンスがまったく効かない。巨大企業だけどまとまりのない状態がしばらく続いていました。
まずは、この事業所最適の考えを事業最適に変えることから取り組みを進めました。
一つの事業所には様々な分野の事業が含まれています。
まず、発電所向けのタービン事業を、他の事業所と統合して、長崎事業所からの切り離し、続いて造船部門も同様、他の事業所の同じ事業部門と統合させることで、長崎事業所の解体を進め、事業最適を推進していきました。
この話、長崎事業所に限ったことではなく他の事業所もこのような取り組みがなされ、事業所最適から事業最適が着実に進んでいきました。
とは言うものの、事はそう簡単に進まず、特にSランクの長崎解体は大変だったと中の人が言っているほどです。
しがらみのない人材をボスに
続いて、人材改革という点では名古屋の航空機部門でのお話。何度も延期となっているMRJを開発している部署ですが、大胆にも若手外国人をボスに抜擢したとか。
日本人では何かとしがらみがあって、まとめていくのも何かと大変。
そこで外国人となった訳ですが、この方、海外では航空機開発では実績申し分ない方で、周りも納得させるには十分の能力の持ち主。
これなら7度目の納期変更はないのではと思います。
色々と学ぶべき点があるよ
今回のお話、支店の発言力が強くなり内向きになって全体の利益最適化を無視してしまう。そのような悩みを抱えている企業には大いに参考になるお話ではないでしょうか。
事業を統合して、骨抜きにしていけば自然と弱体化していくのは目に見えていますからね。
それと外部の人間を招聘するというのも様々な企業で見られますが、これも改革を推進していくためには必要不可欠かなとあらためて思いました。
今回の改革の取り組みで、あと100年後も三菱重工は存続していくだろうなと思いました。