えっ、長岡でも空襲があったの。「この空の花 長岡花火物語」

空襲の惨劇が凄まじい

太平洋戦争の時の空襲と聞くと東京などの人口密度の高い都市部中心かと思いきや、地方までもその対象になっていたのを知り驚きました。

しかも新潟県長岡市ってさ後輩の実家で、夏にはよく遊びに行っていたのでかなり身近に感じていた地域。

田舎と思っていたあの場所に1945年8月1日に大空襲があり、約1500人の方が命を落とされたとのこと。

戦争当時の話を聞くと、防空壕に避難しても爆弾の火力が強いこともあり、全員が蒸し焼き状態になり、一瞬にしてスス状態になっていしまうというのですから、焼夷弾って怖っとあらためて思いました。

この空の花 長岡花火物語

模擬原子力爆弾が全国140近くで投下されていた事実

長岡では大空襲前に長崎に投下されたファットマンが投下されていたのです。

中身は核ではなく普通の爆弾だったようで、長岡を含めて全国約140箇所近くに投下。んで、長岡市の場合、この投下が目的の場所とは異なる所に落ちてしまい、長岡市への原子力爆弾の投下先から外されたとのこと。

もし、目的の橋に見事投下されていたら、僕の友人ももしかしたら、この世に生まれていなかったのではと思ったりしちゃいました。

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原子力爆弾をやめて焼夷弾

この失敗で、原子力から焼夷弾投下に切り替え多くの犠牲者を出すことに。花火を開始を知らせるあのサイレンも、空襲警報と同じだとか。

戦争の悲劇を風化させないということで使われているようです。

と考えると、長岡花火は戦争を忘れない、二度としてはいけない戒めの思いを込めた世界平和の象徴でもあるんです。

だから、近所で行われる花火大会とは重さが違うのです。

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東北大震災の年にも実施

何をするに不謹慎と思われていたあの2011年。長岡花火も被災者の方々のことを思い中止との声もありましたが、中越地震の年にも実施し、復興のシンボル、被災者を勇気づけるということであえて開催。

ということもあり、中越地震の時にお世話になった東北の人たちへの恩返しという意味で開催することが決めました。

が、歴史的な大雨に見舞われ花火会場は冠水して絶望的。中止やむなしと気持ちが傾きつつある中、時の市長が、長岡の平和のシンボルを絶やすことは許されないというわけで、不眠不休の復旧活動で開催に漕ぎつけたというのですから感動しました。

フェニックスという名前もつけられ、なるほどと思った次第です。

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