波乱万丈すぎる人生。始皇帝のパパ「呂不韋」

キングダムでは悪者扱いだけど

宮城谷昌光さんによるを描いた作品、奇貨居くべしでは、人格者として描かれています。

秦の名宰相として中国統一を大きく前進させたというトーンで。

が、人気マンガ、キングダムでは始皇帝を苦しめる悪モノとして描かれ複雑な心境。

なので呂不韋の汚名を返上すべく、善良に満ちた人生を振り返ってみました。

貢物発見が彼の人生を大きく変える

春秋戦国時代ではイマイチぱっとしない韓の商家の次男坊に生まれた呂不韋

親の愛情は長男に注がれ、呂不韋は一人蚊帳の外。親からの愛情が薄くつらい幼少期を過ごしていました。

ある日、父ちゃんからお隣の趙までお使いに行って来てくれと頼まれ、道中でドエライ事件を目撃。

その事件とは楚人と秦人の争い。秦国の人間が楚国の人間を殺してしまうという事件。

殺された楚国の人間は、言わば宅配の人。趙の王に貢物を届ける途中に秦人に殺されてしまいました。

不幸中の幸いなのか秦人は貢物を発見することができず、その場を急ぎ退散。それを拾ってしまった呂不韋は趙国に入り、趙王の側近中の側近に偶然出会い客として迎え入れられます。

客というのは、こいつは見込みありというものではまず無理。13歳にして何か光るものが会ったのでしょう。でなければ無理ですよ。

敵国秦人も認めたキレキレの頭脳

その後の彼の足取りとしてはしばらく趙の役人のお世話になり、共に秦国に詫びを入れに行き命からがら秦を脱出。

逃げきった邑が秦の軍勢に攻めこまれ、奴隷として秦の邑に移送されるという苦難を余儀なくされます。

が、ここでも何と呂不韋は、邑を納める秦の役人に惚れ込まれ好待遇を受けます。

歯に衣着せぬモノ言いが役人の心を掴んだのでしょう。

さらには秦の時の宰相、魏冄にも見込まれ邑の発展を任されるまでに至るのです。

この頃はまさに経済産業大臣扱いで商業、農業全般を任されるまでになります。

この頃はの呂不韋は東奔西走の毎日。めまぐるしく中国全国を飛び回るできるビジネスパーソンでした。

秦のやり口はひどいよ

次第に呂不韋の心の中に経済産業大臣ではなく総理大臣へと夢が膨らんでいきます。というのも時の宰相、魏冄のやり口がどうもひどすぎると感じたから。

まさに負け知らずの名将白起を擁し、次々と領土を拡大していくのですが魏冄の占領行政が全くなっていない。ペンペン草も生えないほどにボコボコにして残るは市民の怨嗟の声ばかり。

これでは戦争に勝っても領土拡大にならない。

オイラが宰相になるのはどうしたらいいのかと悶々として時が過ごす日々が続くのでした。

宰相の道を手繰り寄せる

彼の考えたのは君主の息子のさらに息子。君主からすれば孫ですね。この孫の養育を担うことで秦の宰相の道が開けるのでは?と踏んだわけです。

そのお孫さんを正式な後継者として認めてもらえるよう、正妻に相談。

正妻は偶然にも呂不韋がまだ若かりし頃に顔見知りの仲だったこともあり、話はトントン拍子に進み旦那さんも正妻に泣かれては立つ瀬がないというわけで正式な後継者として認めます。

この子が子楚です。で、呂不韋は早速、彼の世話役に就任した訳です。

これで宰相の道を自らグッと引き寄せたことになります。

始皇帝に嫌われる

正式な後継者となった子楚は、妻を迎い入れます。その奥様も何と呂不韋の知り合い。

その奥様のママとは昔一緒に旅をして、淡い恋心を呂不韋に抱いていました。

が、離れ離れとなり、他の男と結婚し、子楚の正妻となる娘が生まれました。

遺伝とは恐ろしいもので、ママが恋した男に娘も好意を抱き、正妻となる前に呂不韋と一夜を過ごすことに。

この時の契りで宿したのが始皇帝とも言われています。

妻を迎え入れた子楚は、恐らく即妻が妊娠したことに大喜びだったはずでしょう。

しばらくすると趙と秦の仲が次第に悪くなり、お守役の呂不韋としては子楚の危険を察し、本人だけでも秦に返すこととします。

この判断が後に、始皇帝の不興を買うことに。

「ママと俺を捨てて一人だけ助かろうなんて魂胆が許せない」と。その矛先はパパではなく、何故か呂不韋にも向けられてしまうのです。実の親かもしれないのに・・・

不幸の連鎖は続く

魏冄と共に領土拡大に奔走した君主が逝去。で、息子も即位3日でなくなり、子楚が秦の君主になり、呂不韋は当初掲げた野望がここに現実のものとなりました

以前の秦の占領行政を改め、略奪・殺戮のない行政を行い、秦の領土拡大に貢献。が、頼りにしていた蒙騖将軍がなくなり統一に向けた動きもスピードダウン。

加えて子楚もこの世を去り、呂不韋の夢は道半ばで絶たれます。

最期はあまりにも悲しすぎる

子楚の後を継いだ始皇帝は、国の運営を呂不韋から奪い取り、自分とママ、そして宦官のヨウアイで運営していくことに。

ある意味、呂不韋も自身が嫌われていることを悟ったのか、あっさりと政権運営を手放した感じがします。

で、自分が推挙した宦官ヨウアイクーデーターの責任を取る形で隠居生活へ。毒薬を飲んで自殺したと言われています。

という訳で、波乱万丈に満ちた呂不韋の人生がここに幕を閉じた訳です。