捲土重来を期した第8次十字軍だったけど。

200年の歴史の集大成

第1次十字軍から数えて200年のもの間続けられていた十字軍遠征。

今回紹介する8回目の遠征で終了となるわけですが、そもそもの目的は聖地イエルサレムの奪還。

振り返れば、この目的を達成できたのは第一次と第六次の2回だけ。部分的な開放を勝ち取った第三次も成功と数えると、8回チャレンジして3回成功という結果に終わりました。

第7回では、全軍が捕虜となる前代未聞の屈辱を味わい、メンタルはボロボロ。これまでの相手とは次元の強さを誇るマメルークとはもう戦いたくないというのが一般的な見方でしょう。

リベンジを誓うも呆気ない終わり方

なのに、再びマメルーク人との戦いを決意。十字軍側のボスは第7次十字軍の時と一緒のルイ9世。

惨敗した頃はまだ若かったものの、今はしっかりと人生経験を積み王様としての実績も十分。人生の花道として十字軍遠征を決めたのでしょう。

この御方、こうと決めたら即行動に移すという点では素晴らしいものがあります。

早速、チュニジアに上陸し、マメルーク勢の注意を西に向けようという戦略は良かったものの、疫病にかかりあえなく命を落とすことに。

しかも息子までも病気で失うという不運に見舞われ、早々に全軍撤退。

これといった戦いをすることなく地元に戻ってしまった第8次十字軍。イスラム教徒側の資料にも特にこの件に関した記述はほとんどなく、これまでの十字軍遠征とは異なるものと捉えているようです。

これを最後に、十字軍遠征は幕を閉じるわけですが、何とも消化不良な感じが否めません。

中東からキリスト教徒を一掃

一方、中東のマメルーク勢は、これまでの穏健なアユーブ朝とは異なり、キリスト教徒と敵対視し、中東の地から一人残らず地中海で沈めてやるという息巻く始末。

最後の砦となったアッコンの攻防は壮絶を極め、この戦いで、あのテンプル騎士団は消滅。他の宗教騎士団はキプロスに難を逃れ存続する道は残りましたが、損傷はかなりのものでした。

こうしてアッコンもマメルーク勢に制圧され、中東の地からキリスト教徒が一掃されたのでした。

教会の権威、失墜。中央集権化加速

この第8次十字軍遠征後、ヨーロッパでも大きな変化がありました。

これまで時の皇帝よりも強い権力を誇示していた教会側の権威が失墜。その立場は皇帝の管理下に置かれ、法王の選出にも彼らの意向が反映されるようになりました。

さらに場所をアビニヨンに移され、70年間この地で暮らすことを余儀なくされたのでした。

十字軍遠征がもたらしたもの。

そして時代は封建社会から中央集権化へと進みます。一番早かったのがフランスということで、領土統一がどんどんとなされていくのです。

これまではドイツとフランスで力の均衡があり、中央集権化が難しかったもののドイツの国力低下で、フランスの力が増し、中央集権化が加速しったのです。

この先の歴史が楽しみでなりません。