悲運の王、フリードリッヒ二世。第六次十字軍

聖地イエルサレムを奪還したのに・・・

約8回にわたり行われた十字軍遠征。第一回目で見事聖地イエルサレムを奪還したものの、その後はイスラム教徒に再び奪われ、奪還に向けた遠征が始まりました。

第三回の時はイエルサレム奪還には至らなかったものの、キリスト教徒の巡礼も認められ安全もある程度担保されました。

が、都市奪還は成就できていないということで、ローマ法王のリチャード王評価はかなり辛口。

その後、4-5回目の遠征も失敗も終わり、永遠にイエルサレムは奪還できないかもと諦めていた矢先に見事にやってくたのがドイツの皇帝、フリードリヒ二世。

見事、聖地イエルサレムを奪還したのです。けど、これまたローマ法王の評価はリチャード王の時と同じ、いやそれよりも低い評価でした。

心証を悪くしたのがまずかった

というのも、ローマ法王から十字軍遠征を打診されるも、のらりくらいと言い訳をつけては中々、事を前に進めなかったことで心証を悪くしてしまったことが原因。

神聖ローマ帝国の皇帝に就任させたのに、全く動いてくれないフリードリヒ二世。

フリードリヒ二世側に言わせれば、これは全くの誤解。本人は粛々と十字軍遠征に向けた下準備を進めていたのです。

ナイル川専用の船の造船もその一つ。なのに全く出征の気持ちはあることは全く伝わらない。

お互いの心が通い合うことなく最悪の自体を招くことになります。

二度の「破門」を受けてざわつく民衆

この時代、絶対的な力を持っていたローマ法王。今では考えられませんが、時の王様よりも偉い。軍隊などは持っていませんが・・・。

ので、この権力をフルに使い、フリードリヒ二世を「破門」に処します。

加えてローマ法王は、破門した王の元、イエルサレムに遠征に行くのはまかりならん。参加するなという布令を出します。

あれだけ中東への遠征をせかしていたのに、全く逆の行動に出ます。

軍に参加する人々も、この布令に動揺する人もあり、参加を見合せる人も多かったとか。

とは言え、その多くは事ここにいたり、今さら引き返すこともできない。

ならば、フリードリヒ二世について戦う覚悟を決めました。

フリードリヒ二世も、そんな動揺を知ってか、別のものを遠征軍のトップに据えて混乱を抑えることに。

この一時からして、フリードリヒ二世の軍略、人心掌握に優れた人物であることがわかります。

戦うことなく和平合意したけれど

さらにはほぼ一戦を交えることなくイエルサレムという都市を無血でイスラム教徒から奪還したことは、彼の外交能力の高さを伺い知ることが出来る一時だと思います。

彼が取った行動は、手紙攻め。高圧的に出るでもなく、互いの国を尊重しつつ、イエルサレム周辺の平和を望むというトーンでアプローチしたのではないでしょうか。

この対応が好意的に受け止められたのか、状況的にはイスラム教徒が有利だったものの、この条件を飲むこととなったのです。

残念なのは歴史的に評価されいないこと

といったわけで、第二回から100年近く続くイエルサレム奪還作戦がここに成ったわけです。

キリスト教徒の悲願達成と一般市民は大喜びだったものの、ローマ法王は無血で奪還とは何事かと。血を流して奪還することに意味があるということで、この成功を全く認めてくれませんでした。

十字軍の歴史を語る学者の方々も、第六次十字軍の評価は低く、フリードリヒ二世の銅像も鼻の部分が削られているのを見るにつけ残念でなりません。

もう少し、評価されてもいいのでは・・・と思った次第です。